プロレス
【プロレスマニアのひとりごと】③前編
ジャイアント馬場全盛期の集大成DVD!
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ジャイアント馬場の常連レストラン

当連載で、アントニオ猪木、力道山と執筆してきたが、第3回はジャイアント馬場がふさわしいと考えた。
本名は馬場正平、亡くなったのが1999年1月31日だから、もう24年10か月も経過したわけである。
猪木・力道山の場合は副業に熱心で、共にレストランを経営した経験があるが、馬場の場合あまり副業に積極的ではなくレストランを経営したことはない。
だが、筆者が知る限り猪木・力道山より明らかに馬場は外食を好んだ。
それも、いろいろなレストランを周遊するよりもここぞと決めたレストランに足繁く通うタイプであり、その極め付きレストランはキャピトル東急ホテル(現ザ・キャピトルホテル 東急)にあったコーヒーハウス「オリガミ」であった。

ここを自宅のダイニング替わりに愛用していたようで、筆者も生前の馬場をここで目撃した記憶があり、同ホテルの車寄せの大変良い位置に馬場の愛車キャデラックが駐車していたことも覚えている。
創業社長であり、長らくエースレスラーとして君臨した全日本プロレスのメンバーを従え、元子夫人はもちろん、「ジャイアント馬場秘書」の肩書を持っていた2名、和田京平レフェリー、仲田龍リングアナウンサーの3人はレギュラー的存在、他に全日本のレスラー、プロレスマスコミ関係者と夜な夜な会食していたようだ。

特に馬場が好んで食べていたのは、
排骨拉麺(パーコーメン) ※2023年10月時点では3,542円(サービス料込・消費税込)
ジャーマンアップルパンケーキ メープルシロップ バターとともに ※2023年10月時点では1,897円(サービス料込・消費税込)

排骨拉麺(パーコーメン)

ジャーマンアップルパンケーキ
メープルシロップ バターとともに

現在のザ・キャピトルホテル 東急のオールデイダイニング「ORIGAMI」でも、「受け継がれた味」として、メニューにこの2品は健在であり、今回のコラム執筆で改めて食べてみた。
排骨拉麺は、鶏と豚のスープの中に片栗粉をまぶして二度揚げした大きな豚ロース肉のパ―コ―が入っている。パ―コ―は食べやすいように既にカットされている。
不思議なことに、パ―コ―は全くふやけておらず、衣は香ばしく、肉はしっとりとしていて、おだやかでしみじみと美味しいスープと渾然一体となっている。
薬味は4種類(白ネギ、万能ネギ、七味唐辛子、ラー油)だが、筆者は食べ飽きなかったので、薬味は全く使わなかった。しみじみと美味しい逸品で、馬場が愛した一品であることが充分理解できた。

もう1品、ジャーマンアップルパンケーキは、今風のホットケーキ的パンケーキとは異なり、極薄のクレープの上にアップルが載っている。
シロップもバターも不使用でも、充分にアップルの酸味とパンケーキの香ばしさで美味しいデザートであったが、どちらかというと筆者の好みではバターの方がベターかな。
年中無休で、昼夜営業しているので、興味のある方は、一度は食べることをお勧めする。

ジャイアント馬場DVDの見どころ

今回、小生のDVD収録棚を見て、ジャイアント馬場のDVDを探したところ今回のDVD「ジャイアント馬場 王者の魂 VOL.1とVOL.2」を発見した。
老舗の日本プロレスから独立し、日本テレビのバックアップの元立ち上げた全日本プロレスの黎明期からジャイアント馬場「引退」記念試合まで、VOL.1は25試合、VOL.2は、35試合収録した完全保存版である。

紹介作品はこちら

『ジャイアント馬場 王者の魂 VOL.1』

VAP STORE

まず、前編はVOL.1に関して。

Disc1は、まさに全日本の黎明期、「日本プロレス離脱会見」や全日本プロレス発足記念パーティーに続き、ザ・デストロイヤーとの「世界ヘビー級王座争奪戦」を収録。
当初、力道山の百田家から寄贈されたインターナショナルヘビー級ベルトを認定団体名なしの「世界ヘビー級王座」として、団体の看板王座とするが、馬場は単に禅譲されての初代王者を嫌い、世界の強豪8選手との10番勝負「世界ヘビー級王座争奪戦」を開催し8勝2分の戦績で「初代世界ヘビー級王者」となった。収録されたザ・デストロイヤーとの一戦は、この試合に負けたら、アメリカ人ながら日本陣営に入るという約束を賭けた試合。
当時はシングルのタイトル戦でも3本勝負が主流だったので、それぞれの得意技を満喫できる良さがあった。
1本目は馬場の切り札・ランニングネックブリーカードロップ、2本目はデストロイヤーが馬場のアトミックドロップ返しの足4の字固め、3本目は4の字の布石であるヒップドロップにきたデストロイヤーを馬場がキックしてリングアウト勝ち(この時はまだPWFが設立されていないためか、場外カウントは20であった)

Disc2のハイライトは、なんといっても、当時の世界最高の王座であった「NWA世界ヘビー級」を日本人として初めて奪取した1974年12月2日鹿児島におけるジャック・ブリスコ戦。
王者ブリスコの反則負けでは王座移動なし、3カウントフォールとギブアップの組み合わせのみが王座移動というルールであった。
1本目は、馬場が32文人間ロケットからの河津落とし。2本目はブリスコがバックドロップからの足4の字固めで取り、決勝の3本目は、馬場がランニングネックブリーカードロップを決め、ジョー樋口レフェリーが確かにカウント3を叩いて、日本のプロレス史は変わった。
同じDisc2には異色の試合も収録されている。1975年7月に日大講堂(現存しない会場)で開催されたNWA世界ヘビー級王座挑戦者決定戦&テキサスデスマッチ(時間無制限1本勝負)で、相手は「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリック。ルールは反則OK、決着は3カウントフォールなし、ギブアップかKOのみ。大流血のエリックを鬼神のように攻めまくる馬場の凄みを堪能されたい。

Disc3では、1976年7月の蔵前国技館でのビル・ロビンソンとのPWFヘビー級防衛戦を収録。前年12月、同じ蔵前でアントニオ猪木はロビンソンからNWF世界ヘビー級選手権のタイトルを時間切れ引き分けでかろうじて防衛した。7か月後に馬場が猪木同様、自身の王座挑戦者に同じロビンソンを選んだことで、猪木が勝てなかった相手に馬場は勝てるのか?という間接的な馬場猪木比較となるこの防衛戦は俄然注目の一戦となった。
1本目は馬場が16文キックからのバックドロップ。2本目はロビンソンが意外にも逆エビ固めで馬場からギブアップを奪う。3本目はこれまた馬場の切り札・ランニングネックブリーカードロップで、馬場が見事2本フォール勝ちしたことで、暗黙のうちに「どうだ、猪木が引き分けた相手に俺は勝ったぞ!」とアピールしているような。

Disc4では、馬場の代名詞的王座であるPWFヘビー級王座の39度目の防衛戦を収録。
PWFヘビー級初代王者の馬場は、その後連続38回防衛というプロレス王座の連続防衛日本記録を持っていたが、1978年6月に行われたキラー・トーア・カマタとの39度目の防衛戦で、なんと反則負けでタイトルを失った。当時プロレスの殆どのタイトル戦は、王者の「反則負け」では、王座が移動せず、王者防衛となったが(世間一般では理解しがたい部分かもしれない)馬場は、PWF設立の際、PWFルールとして反則負け・リングアウト負けでも負けは負け、王座移動すべしとの主張であらゆる勝敗で王座移動を認めたが、自ら墓穴を掘ってしまった。歴史の皮肉というべきか。
馬場自身の試合後のコメントで「あんなので反則取られたらかなわない」とは本音だろう。
その他、馬場の珍しいサイドスープレックスでドス・カラスをフォールした1978年8月の田園コロシアムでのマスカラス兄弟とのインターナショナルタッグ防衛戦も収録されている。

Disc5では、NWA世界ヘビー級2度目の奪取1979年10月の愛知県体育館と3度目の奪取1980年9月の佐賀スポーツセンター、共にハーリー・レイス戦が収録されているが、特に愛知県体育館でのランニングネックブリーカードロップは、馬場自身が生涯最高の一発と言っているので、ぜひご覧あれ。

1981年1月のAWAの帝王バーン・ガニアとのAWA世界ヘビー級・PWF認定ヘビー級ダブルタイトルマッチは、本来、蔵前国技館か東京体育館クラスの大会場で開催するレベルの大試合だと思うが、義理堅い馬場は、「普段、お世話になっている後楽園ホールで」と言って、満員で約2000人の小規模会場(失礼)で開催された。1本目はガニアの必殺スリーパーホールドで馬場がギブアップ。2本目は馬場が河津落としから16文キックで取り返す。3本目は残念ながら、両者リングアウト。NWA世界ヘビー級に次ぐAWA世界ヘビー級タイトル奪取はならず。
AWA世界は、弟子のジャンボ鶴田が3年後の1984年2月に、ニック・ボックウィンクルから奪取する。

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ザ・キャピトルホテル 東急
オールデイダイニング「ORIGAMI」
〒100-0014 東京都千代田区永田町2-10-3 3F
公式サイト:https://www.tokyuhotels.co.jp/capitol-h/restaurant/origami/index.html
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ふじやま