ミーティング・ザ・ビートルズ・イン・インド
『ミーティング・ザ・ビートルズ・イン・インド』特設コラム【後編】
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ビートルズにとってのインドとは

 ビートルズとインドといえばジョージ、である。映画『ヘルプ!』撮影時(65年4月5日)にシタールを目にしたのがきっかけでインド音楽に魅了されたジョージは、インド楽器シタールを次作『ラバー・ソウル』収録の「ノルウェーの森」(65年)に使用した。その後もジョージは、シタールをフィーチャーしたインド音楽色の強い「ラヴ・ユー・トゥ」(66年)、「ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー」(67年)、「ジ・インナー・ライト」(68年)を作曲し、ジョンとポールとは異なる独自の味わいをビートルズ・サウンドに取り入れた。

 それだけでなく、特に妻パティの勧めでジョージはインド思想にものめり込んでいった。そして67年8月にウェールズのバンゴアで開催された、インドの導師マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーの講義に参加した4人は、マハリシの言う「内なる平和」に魅せられ、それが大きなきっかけとなり、68年2月から5月にかけてインドのリシケシュでの本格的な修行へと向かうことになるのだ。

 
インド訪問前とその後のビートルズ

 62年のデビュー以後、レコード制作とライヴ活動を2本の柱としてグループ活動を続けていたビートルズは、66年8月にライヴ活動を停止。以後はスタジオでのレコード制作に重きを置き、『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』(67年)をはじめとした“20世紀の名盤”を生み出した。だが、67年8月にマハリシの講義中にマネージャー、ブライアン・エプスタインの訃報を耳にしてからは、自分たちでバンドを切り盛りしなければならず、以後はポール主導での活動となっていく。

 68年のインド訪問は、そうした、バンドとしても危うい時期に重なったものでもあった。インドで書いた曲を多数含む『ザ・ビートルズ(通称“ホワイト・アルバム”)』(68年)では、66年から67年にかけてのサイケデリックなサウンドから一転、よりストレートなロック・サウンドやアコースティック・ギターを主体としたナチュラルなサウンドが増えた。4人の個性の集合体のようなアルバムになったのは、4人がインドで個を見つめ直した結果でもあった。

(文/藤本国彦)

プロフィール
藤本国彦(ふじもと くにひこ)
音楽情報誌『CDジャーナル』編集部(1991年~2011年)を経てフリーに。主にビートルズ関連書籍の編集・執筆やイベント・講座などを手がける。主な著作は『ビートルズ213曲全ガイド』『ゲット・バック・ネイキッド』『気がつけばビートルズ』他多数。最新編著は『ディスカバー・ビートルズ THE BOOK』。映画『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK‐The Touring Years』『ザ・ビートルズ:Get Back』ほか字幕監修も多数。相撲とカレーと猫好き。