ミーティング・ザ・ビートルズ・イン・インド
『ミーティング・ザ・ビートルズ・イン・インド』特設コラム【前編】
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ビートルズが駆け抜けた60年代

 ビートルズは、リヴァプール生まれのジョン・レノン(1940年10月9日生)、ポール・マッカートニー(1942年6月18日生)、ジョージ・ハリスン(1943年2月25日生)、リンゴ・スター(1940年7月7日生)の4人組ロック・バンド。

 62年にシングル「ラヴ・ミー・ドゥ」でレコード・デビュー。63年発表のシングル「抱きしめたい」でアメリカのチャートでも1位を獲得。以後も、レノン=マッカートニーの作曲コンビでヒット曲を量産、世界的アイドル・バンドとして人気を博す。64年に全米チャート5位独占、100以内に14曲を送り込んだのをはじめ、65年のニューヨーク・シェイ・スタジアム公演では当時の観客動員記録を作るなど、世界を席巻しながら60年代を駆け抜けた。

 66年に来日し、日本武道館で5回の公演を行なっている。70年、アルバム『レット・イット・ビー』発売後に解散。約7年半の活動で、オリジナル・アルバム12枚・シングル22枚、計213曲を残した。

 
ビートルズファンとしての映画の見どころ

 68年前半のインド滞在時のビートルズの4人の様子は、「行った」という事実以外、これまでに具体的にはそれほど多くは伝えられていなかった。そうした中、本作の監督でもあるポール・サルツマン氏は、間近で“同じ空間”に居合わせることができた強運の持ち主だが、彼が4人とどんな言葉を交わし、4人をどのようにとらえたか、リシケシュの雰囲気も伝わる回想が何より興味深い。なぜなら、その時の生々しいやりとりからは、4人の素顔が垣間見えるからだ。

 また、インドのムンバイにサルツマン氏と一緒に足を運んだ、ビートルズ研究家として名高いマーク・ルイソン氏の現地調査も、研究家ならではの視点が伺えて面白い。インドで書いた曲にまつわる話も登場するが、中でも、ジョンが書いた「コンティニューイング・ストーリー・オブ・バンガロウ・ビル」の元ネタになったリッキ・クック氏が当時の様子を回想する場面は、本作に出てくる知られざる話として、最大の見どころのひとつだ。

(文/藤本国彦)

プロフィール
藤本国彦(ふじもと くにひこ) 
音楽情報誌『CDジャーナル』編集部(1991年~2011年)を経てフリーに。主にビートルズ関連書籍の編集・執筆やイベント・講座などを手がける。主な著作は『ビートルズ213曲全ガイド』『ゲット・バック・ネイキッド』『気がつけばビートルズ』他多数。最新編著は『ディスカバー・ビートルズ THE BOOK』。映画『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK‐The Touring Years』『ザ・ビートルズ:Get Back』ほか字幕監修も多数。相撲とカレーと猫好き。