9月28日(水)よりサブスク&ダウンロード配信開始!
伝説のロック・トリオ「ピンククラウド」
~ジョニー吉長、ルイズ・ルイス加部(加部正義)、チャー(竹中尚人)~
1982年~1984年のバップ在籍時に発表した作品のストリーミング配信&ダウンロード配信を開始します。
Spotify、YouTube Music、AWA、Apple Music、LINE MUSIC、Amazon Music Unlimited、iTunes、レコチョク、mora、その他主要音楽配信サービスにて9月28日(水)より配信スタート!
■配信開始タイトル
<オリジナル・アルバム>
KUTKLOUD/PINK CLOUD
CLOUD LAND -桃源郷-/PINK CLOUD
PINK CLOUD/PINK CLOUD
PLANT BLEND/PINK CLOUD
MOON CHILD/チャー
LOVE CHILD/ジョニー吉長
MOON LIKE A MOON/加部正義
MARI FIRST/金子マリ
<コンピレーション・アルバム>
VAP YEARS 1982~1984/PINK CLOUD
ゴールデン☆ベスト/PINK CLOUD
今回の配信開始に際して、音楽ライターの近藤正義氏に解説を執筆いただきました。
リスニングのご参考にしていただけますと幸いです。
ピンククラウドのサブスク&ダウンロード配信開始にあたって
近藤正義
ジョニー、ルイス&チャー改め、ピンククラウドがバップ・レコーズ在籍時にリリースしたオリジナル・アルバム4タイトル、そしてメンバーのソロ・アルバム(金子マリを含む)4タイトルが、主要定額制(サブスクリプション)音楽ストリーミングサービス及び音楽ダウンロードサービスで2022年9月28日(水)より配信開始となる。オリジナル・アルバムは2001年にデジタル・リマスターされた紙ジャケット仕様で復刻されていたが、それ以来の動きとなる(各ソロ・アルバムは2004年に同仕様で復刻)。
それでは、日本のロック界に偉大な足跡を残したバンド、ピンククラウドの歴史を簡潔に辿ってみよう。まず、伝説のバンド、Shock、Bad Scene、スモーキー・メディスンなどを経て、1976年6月にソロ・デビューした日本屈指のギター・ヒーロー、竹中尚人(チャー:g、vo)。70年代後期の歌謡シーンにロックの手法で斬り込み、AOR(現在のシティ・ポップ)的なスタンスでアルバム3枚とシングル5枚を残した。78年には活動を一度リセットし、ルーツであるロックに戻るべく3ピースの本格派ロック・バンド、ジョニー・ルイス&チャーを結成。
チャーが組んだメンバーは、彼よりも年上で活動歴としても先輩格であるジョニー吉長(ds、vo)とルイズ・ルイス加部(b)。ジョニー吉長は、すでにイエロー、金子マリ&バックスバニーで活躍しており、ソロ・アルバムも発表していたドラマー/ボーカリスト。ルイズ・ルイス加部はゴールデン・カップス、フード・ブレイン、スピード、グルー&シンキなどにおける活躍で有名な伝説のベーシスト。チャーにとってはプロになってから初めてのパーマネント・バンドである。
そして翌年1979年には日比谷野外音楽堂で1万4千人を集めたフリー・コンサートでその雄姿を現し、そのライヴ・レコーディングが『FREE SPIRIT』(1979年)としてデビュー・アルバムになった。当時所属していたポニーキャニオンからは続けてアルバム『Tricycle』(1980年)、『OiRA』(1981年)をリリース。
その後、1982年にバップへ移籍し、バンド名をPINK CLOUDに変更。1984年までの在籍期間にアルバム『KUTKLOUD』(1982年)、『CLOUD LAND~桃源郷~』(1982年)、『PINK CLOUD』(1983年)、『PLANT BLEND』(1984年)、そしてメンバーそれぞれのソロ・アルバムをリリースした。
1985年に東芝EMIに移籍し、『aLIVE(ミニ・アルバム)』(1985年)をリリース。それぞれのソロ活動を挟みながら活動を続け、1989年にはチャーが立ち上げた江戸屋レコードへ移籍。『PINK STICK(ライヴ盤)』(1989年)、『INK CLOUD(ライヴ盤)』(1989年)、『INDEX』(1990年)、『B B JOKE(ミニ・アルバム)』(1990年)、『the period』(1994年)、『BOOTLEG』(1994年)をリリースしたのち、1995年に解散を発表。デビュー・アルバムと同じく日比谷野外音楽堂におけるライヴ・アルバム『FREE SPIRIT 1994』(1995年)で16年にわたる活動に終止符を打った。なおその後、オリジナル・アルバムに準ずる作品としては編集前の音源『FREE SPIRIT 1979.07.14 / Johnny, Louis & Char』(2004年)が発表されている。
次に Johnny, Louis & Char そして PINK CLOUD として彼らが活動した1979年~1995年、音楽シーンの状況は? そして彼らの立ち位置や功績は? これらについて検証してみよう。結成された1978年というタイミングは、時代はブリティッシュ・ロックからアメリカン・ロックへ、そしてR&B/ソウルからディスコへの変遷、クロスオーバーやAORブーム、パンクやテクノの登場など音楽シーンは百花繚乱。すでにチャーが少年時代に親しんだクリームやジミ・ヘンドリックスの時代ではなかったものの、トリオ編成のロック・バンドへの憧れが込められていた。ハードロック的なサウンドに乗って延々とギターソロを弾くのも一つの要素としては有効だが、彼らの真の狙いは3人で作り出すリズムのアンサンブル、グルーヴにあった。当時、レゲエや彼らと同じくトリオ編成のポリスをよく聴いていたというエピソードは、方向性をよく表わしている。その結果、彼らのスタジオ・アルバムには、ハードなロック・ナンバーから軽めのロックンロール、ボサノバ的アプローチの爽やかなインストやポップス、レゲエ風味からプログレッシヴ・ロックまで、幅広い音楽性が詰め込まれていた。
彼らが活動を本格化させていった80年代は、シンセサイザーやエフェクター、さらにスタジオやPAを含む周辺機器の発達も相まって、よりエフェクティヴで複雑なサウンド・プロダクションによる音楽が主流となっていた。そんな中で、一見時代に逆行するかのようなオールド・スタイルな彼らの音楽は、スリー・ピースのバンドを好きなロック・ファンの気持ちをしっかりとつかんだ。ギター、ベース、ドラム、それぞれの楽器に存在感があり、その間に存在する空間(空気)までがしっかり感じ取れるのだ。リフやユニゾンの醍醐味、自由なジャムセッションのようなスリルをたっぷり味わうことができる。ロックというカテゴリーに縛られない自由な音楽、そんなアイデアを形にしたのがこのトリオの狙いであり、存在意義でもあった。流行の移り変わりの激しかったこの時代に、伝統的なロックのスタイルを守った功績は大きい。
それでは、今回サブスク&ダウンロードで配信が開始されるバップ時代の作品をレビューしていこう。バップに在籍していたのは1982年から1984年までの約3年という短い期間ではあったが、バンドが一番新鮮で想像力に溢れていた時期だったのではないだろうか。レコード会社との契約の関係もあったのだろうが、じつに多作な時期でもあった。有り余るアイデアをこの3人で作品として仕上げようという意欲が感じられ、そして何よりも自由なバンドだったことが作品に表れている。この後バップを離れてからも約10年、バンドは活躍を続けるのだが、ジョニー、ルイス&チャーとしてスタートした最初のポニーキャニオン期とも、また貫禄を感じさせる円熟の江戸屋期とも違った、特別な輝きを放っていたのがこのバップ期だったように思える。
『KUTKLOUD』(1982年5月)はハワイ録音による開放感あふれるサウンド・プロダクションが特徴。チャー自身が「このアルバムはシングルの集まり」と評しているように、全16曲キャッチーでバラエティに富んだ曲調、しかもそれぞれ完成度が高い。そして『CLOUD LAND~桃源郷~』(1982年9月)は前作と同じハワイ録音で、わずか4カ月という短いインターバルで発表された。Daniel Matrazzo がキーボードでクールな響きを加えており、金子マリもボーカルでゲスト参加している。そのせいか、前作と兄弟のような関係のアルバムでありながら、少しダークでブルージーな雰囲気を備えている。以上2枚のアルバムは充実度の高さゆえ、バンドにとって最重要作と言って良いだろう。
その後、各メンバーのソロ・アルバムが制作される。まず、チャーによる『MOON CHILD』(1982年11月)。そして、ジョニー吉長の『LOVE CHILD』(1983年3月)。続いて、加部正義の『MOON LIKE A MOON』(1983年7月)。最後に、ジョニー吉長の奥様であった金子マリの『MARI FIRST』(1983年9月)。それぞれメンバーのつながりによるミュージシャンを連れてきたり、一方ではジョニー、ルイス&チャーという面子でのレコーディングも含まれていたり、バラエティに富んだ内容であり、メンバー各自の個性がよく表れている。なお、チャーは全てのアルバムでプロデュースを担当した。
ソロ・アルバムの制作で多忙を極めた1983年であったが、年末にはピンククラウドのアルバムも『PINK CLOUD』(1983年12月)として発表。チャーが設立した銀座スモーキー・スタジオで録音されている。ハードロック的な側面を強調した内容で、その後のライヴで定番となる曲が多く含まれていた。
そして、バップにおける最後のアルバムとなった『PLANT BLEND』(1984年11月)はサンフランシスコでの録音。サウンド・プロデュースをミキサーのジム・ゲインズが担当しているせいか、これまでのアルバムとはかなりサウンドの質感が違う。デジタルな聴感という趣だろうか。なお、『FREE SPIRIT』に収録されていた「WASTED」「OPEN YOUR EYES」や、チャーのソロ・アルバム『ムーン・チャイルド』に収録されていた「LAST NIGHT」の再録音、さらに本作に先駆けてシングルのみでリリースされていた「SUGAR BABY GAME」が含まれており、これまでの6年間の活動の集大成という意味合いも感じ取れる。
なお、番外編となるが今回、2001年にリリースされた4枚組のスペシャル・ボックス・セット『VAP YEARS 1982~1984』も配信される。『BEST OF PINK CLOUD』と題されたDISC.1にはピンククラウドがバップに残した4枚のアルバムと2枚のシングルより選りすぐりの曲を収録。「NEWS」のシングル・バージョンは入手困難な曲なので貴重だ。そしてDISC.2『LIVE 1983.08.22』は宮城県民会館のライヴを完全収録。このディスクはバップにおける5枚目のアルバムと位置付けてもよい。DISC.3『PLAYED by J.L.C』は各ソロ・アルバムからピンククラウド色が強い曲をセレクト。そしてDISC.4『LIVE・SOMEDAY』には諸般の理由でクレジットのないライヴ音源が収録されている。いつのライヴの曲なのか、ファンが聴けば必ずわかるはず。
この後、バンドは少しの間、充電期間に入るため、ライヴ活動は行われていたが、オリジナル・スタジオ・アルバムは1990年の『INDEX』まで待たなくてはならない。そして最終作の『the period』(1994年)を含めて、結局バンドはスタジオ・アルバムとしては2枚しか制作していない。バンドの後期になると、メンバー3人で会うのは仕事の時だけになったそうであり、何かが変わっていったのだと思う。思えば、バップ在籍時は3人にほぼ同時期に子供が生まれ、大きなファミリーのような交流もあった。そういうファミリーとしての一体感がバンドのサウンドにも表れていたのではないだろうか。そう、やはりジョニー、ルイス&チャー~ピンククラウドにとってのバップ・イヤーズは特別な時期だったのだ。そう考えれば、この時期の充実度の高さにも納得がいく。解散後も多くのベスト・アルバムがリリースされてきたが、改めてオリジナル・アルバムで聴いてみると、ベスト盤では忘れられていたような曲にも深い味わいがあることを再発見する。配信されるこの機会に、ぜひとも世代を超えて多くのロック・ファンの耳に届くことを願ってやまない。