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『The Reverb 2022 OMEGA TRIBE』 新川博 × 富澤タク(グループ魂/Number the.) 特別対談

1986オメガトライブ時代と、カルロス・トシキ&オメガトライブ時代の名曲たちをレーベルの垣根を越えて網羅したリミックスベスト盤『The Reverb 2022 OMEGA TRIBE』が6月15日に発売される。今作を監修したのは、昨年2月にリリースされた1986オメガトライブの35周年記念アルバム『To Your Summertime Smile』同様、当時の楽曲制作に携わっていた編曲家・新川博。昨今の世界的なシティポップブームもあり、オメガトライブはもちろん、ラ・ムーなど80年代のスタジオワークが再評価されているミュージシャンだ。今回アルバム発売記念として、ギタリストとして所属するグループ魂で1986オメガトライブ「君は1000%」の編曲を担当したこともあり、オメガトライブ、新川に多々影響を受けたというアーティスト・富澤タクと新川との対談が実現した。80年代当時の制作エピソードを中心として、富澤が意外な形で受けていた新川からの影響について等、話題は尽きることなく長時間に渡った。

―― 今作は、新川さん総監修のもと、1986オメガトライブからカルロス・トシキ&オメガトライブまで、レーベルをまたいだオメガトライブ・カルロス期の集大成となるリミックス盤となるわけですが、昨年2月にリリースされた1986オメガトライブの35周年記念アルバム『To Your Summertime Smile』制作の時点で、今作の構想は既にあったのでしょうか。

新川:オメガトライブは解散して30年ぐらい経つグループなので、リミックスアルバムを作るにあたり本当だったら1つにまとめて作りたかったんですけど、レコード会社が2つまたがっていて(VAP / ワーナーミュージック・ジャパン)、なかなかそれができないという事情がありました。『To Your Summertime Smile』はVAPさん主導で作ったのでVAP関連の音源が多かったんですが、やはり時間の流れからいくと、後半の活動もみなさんの印象にも残っていると思うので、いつかはそれをまとめたいと思っていたんです。それが今回、プロデューサーの志熊(研三)君の尽力などもあって、レコード会社間の垣根を越えて実現に至りました。

―― 収録内容について後ほど詳しく伺うとして、まず富澤さんにお訊きします。富澤さんは2017年にリリースされた港カヲルさんのソロデビュー・アルバム『俺でいいのかい ~港カヲル、歌いすぎる~』で「君は1000%」を編曲していらっしゃいますね。富澤さんと1986オメガトライブ、カルロス・トシキ&オメガトライブの音楽との出会いを教えてもらえますか?

富澤:僕は小学生の頃にギターを始めて、楽器の性質上バンド系の音楽をよく聴いていたんですが、その中にオメガトライブもありました。当時は、昨今シティポップと呼ばれている新しいセンスの音楽、ミュージシャンが日本でもどんどん生まれてきていたんですが、なかでもオメガトライブはすごくスタイリッシュでセンスがキレてると思いました。その頃僕は出身地の福島の浜通りで聴いていたんですけど、オメガトライブの音楽は都会的でしかも夏とか海を思い出すという意味で、すごく印象に残っています。当時は貸しレコードの時代で、借りてきたレコードをカセットに録音して、歌詞カードに書いてあるミュージシャン、作詞作曲編曲家のクレジットを見て、カセットレーベルに書き写していました。そこで新川さんのお名前も拝見して書いていたので、今日こうしてお会いするのは非常に不思議な気分というか……緊張してます(笑)。

新川:名前が独り歩きしてたんだ?(笑)。

富澤:そんなことないです(笑)。じつは、僕は新川さんのお母さまで詩人の新川和江さんのファンで、詩集も持っているんです。ただのファンではあるんですけど、新川さんの音楽にいろいろ影響を受けて、詩という部分ではお母さまからも影響を受けています。

新川:そうなんですか。富澤さんは詩も書かれるんですか?

富澤:はい、書きます。純粋な詩ではないんですが、音楽の歌詞から派生してできれば音楽の歌詞の枠を飛び越えた詩をいつか書きたいという希望があります。

新川:おお、それは素晴らしい。僕はね、詩の世界から逃げてきたんです。反抗期の頃「なんで自分は詩人の家に生まれてきたんだろう」という気持ちがあって、そこからできるだけ遠くに行ってやろうと思って選んだのが、音楽の世界だったんです。

富澤:(深く感嘆して)はあ~、なるほど。

新川:母の文字の世界から飛び出してやろうと思って音楽の世界でプロになって仕事を始めて、あるレコード会社の女性ディレクターと初めてお会いしたときに「はじめてまして」ってご挨拶したんです。そうしたら、そのディレクターさんが「新川さん、初めてじゃないのよ。私は昔雑誌社にいて、お母さまのところにたびたび原稿を取りに行ってたの。その時にまだ小さかったあなたにお会いしてるのよ」って言うんです(笑)。それで、その仕事が終わったときにそのディレクターさんから、「作風がお母さまそっくりね」って言われたんですよ。自分は必死になって真逆のところに来たつもりが、「ちょっと待ってくれ、なんてこと言うんだ」って思った記憶があるけどね(笑)。

富澤:そう言われるのは、当時の新川さんにとって不本意だったわけですか?

新川:若かったせいもあるけど、僕としては突っ張っていて、自分では遠くに来たつもりなのが「同じだよ」って言われてガクッときたというか。でもそれ以降、母と仲良くなりましたけどね。そういうものですよ。

富澤:僕もうちの父が詩人を目指していた時期があって本に囲まれた環境だったせいか、どちらかというと文字が苦手になってしまって。それで美術の学校で絵を描いたり、音楽をやるようになったんです。でもある程度大人になってから、文学と美術と音楽は、じつは同じフィールドの中にあるんじゃないかと思ったんです。

新川:うん、僕もそう思います。例えば絵を描くときに、鉛筆、水彩、油絵で描いたりという違いがあるじゃないですか?文字を書いたり、絵画を描いたり、音楽を作ることは、そのぐらいの差でしかないと思うんですよ。作風というのは使う道具が筆かペンかの違い。僕は遠くに来たつもりが「鉛筆で書いていたのが筆になっただけでしょ?作風は同じだね」って言われて、「ああ、なるほどね。そういうことだったのか」って初めて気づかされました。でも大事なのは、不特定多数の人を目がけて発信する上で、「何を書きたいのか?」ということですから。そういうことを教えられました。

富澤:今回のリミックス音源を聴かせていただいたときに、以前よりもさらに、僕がお母さまの詩から感じた“たおやかさ”が音全体から感じられました。「芸術は一代にして成らず」じゃないですけど、もしかして新川博さんがこういう作品を作るために、お母さまのああいう活動があったのかもしれない、というような想いを馳せながらここ数日、最新音源を聴かせていただきました。

新川:やっぱり、そこの家で生まれたらそこでフォーマットをかけられるわけだから、そうなっちゃうんだと思う(笑)。その家の家風なんですよね、きっと。

―― そうしたつながりもあって、富澤さんは以前とは曲の捉え方も変わったのではないかと思うのですが、今回のリミックス音源では特にどんなところが気になりましたか。

富澤:今出来上がっている3曲を聴かせていただいたんですが、元の楽曲から感じる根本的な雰囲気は恐らく意図的に変えすぎないように、でも今の時代の空気を深呼吸して作っているような印象で、オーガニックというか、デジタルなのに自然な感じがするような印象でした。具体的に言うと、リズムの処理、歌のリヴァーブ感がよりアナログ的で自然な感じに聴こえました。

新川:確かにそうですね。

富澤:僕が言うのも僭越なんですが、“今の音”というか。昔の音源は時代の空気をものすごくはらんでいるので、改めて聴くとそれはそれで変われないというか。ビートルズの最初の音源じゃないですけど、リミックスもリマスターも良いんだけど、元の音源も良いなって思いますし、両方楽しめるチャンスを与えていただいているなと思いました。

新川:ミックスに関してはエンジニアのテクニックですけど、エンジニアもあの当時から40年も経ってだいぶこなれてきたところもあると思うし、やっぱり世代によって求めているものが違うと思うんですよ。今回のエンジニアの内沼映二さんとかは、もう日本のレジェンドと呼ばれる方ですし、「今まで試したことの中で自分はこれがおすすめ」という音にしてくれている感じです。

富澤:新川さんが編曲をされるにあたって、当時最新のシンセサイザーをサウンドに大胆導入されていた印象があるんですけど、時間が経って今、編曲とサウンドの関係性はどのように考えていらっしゃいますか?

新川:あの当時、それまでアナログシンセサイザーしかなかったんですけど、デジタルシンセサイザーのはしりのYAMAHA「DX7」というFM音源の楽器が出てきたんです。そこからハッキリ分かれるんですけど、例えば僕はDX7が出るまでは、エレキピアノのフェンダー・ローズを使っていたんです。でもDX7が出た瞬間から、DX7のエレキピアノを使うようになったんです。今でこそ定番の音なんですけど、最初はあの音がオケにハマらなくて、DX7の音だけが浮いて浮いてしょうがなかったんです。でも、いつの頃からか、逆にローズの音の方が浮くようになってしまったんです。僕から言わせると、「背景が全部変わっちゃった」という感じですね。それまでは、アナログの背景の中でDX7の音が浮いていて、「こんな楽器使っていいの!?」という感じだったんですけど、バックが全部デジタルになっちゃうと、「ローズの音ってなんて古臭いんだろう?」って思える。音楽ってそういう側面がすごくあるんですよ。だから、今思い返せば当時の最新の音を使っていたと言われるんだろうけど、その頃は「こんな音使って合うのかな?大丈夫だろうか」と思ってやってましたね。

富澤:へえ~!今聴くと、「この編曲にはこの音しかあり得ないんじゃないか」と思うんですけど、当時は迷いの中で制作されていたということですか?

新川:その通りです。本当はローズでやるのが普通なんだけど。YAMAHAがスタンフォード大学にDX7のFM音源を作らせたんですよね。それで「どうもこれが新しいらしいぜ」って使ったんだけど、どうしても浮くなあって。「でもいいか、使っちゃえ!」という感じでしたよ(笑)。

富澤:そうだったんですか(笑)。例えば、「この音だからこの編曲」「この音だからこのフレーズ、こんな曲」という、逆説的な作り方もあったんですか?

新川:うん、ありました。特にエレキピアノの音は浮き出るようなサウンドなので、それを逆手にとって作りました。ローズだと後ろにしっとりいるような昼間よりも夜のムードなサウンドなんだけど、DXだとそれがもうちょっとキラキラしていて。あの当時流行った、田中康夫さんの小説『なんとなく、クリスタル』(1980年)とかのムーブメントと、DX7のキラキラしたサウンドが妙に合っていたんです。

富澤:ああ~、なるほど。今思うと、宿命的にあの音を使ってそれまでになかった音楽のフィーリングを発明していたというか。

新川:そうですね。エレピもそうだけど、例えばベースの音なんかもDX7のベースの音はあれじゃなきゃダメでしょっていう独特な感じでした。普通のベースにしたって、昔は指で弾いていたけど、チョッパー(スラップ)奏法がグラハム・セントラル・ステーションぐらいからあたりまえのようになってきて。あれ、(普通のベースと)全然違うじゃないですか? 昔はベースって日陰者だったんですよ。「おまえ、ギターがあんまり上手くないからベースやれ」みたいな(笑)。

富澤:ははははは(笑)。

新川:でも、チョッパー奏法が出てきてから、今度はベースが主役になってきたんです。音楽って、楽器の奏法なり種類によって、そんなに変わるものなんですよね。オメガに関していえば、当時YAMAHAがDX7を作ったことが画期的な出来事でしたけど、使う側からすると「これでどうやればいいの!?」って困惑しましたよね。だから、あの当時の音を聴き返してみるとわかるんですけど、日本の録音はDX7のサウンドにいっぱいエフェクトをかけて、なるべく馴染むように作っているんですけど、アメリカの音楽、特に黒人音楽はそれをそのまま使っているんです。だからもっと浮くんですけど、でも欧米だとそういう方が性に合っているのかなって思いました。それで言うと日本人がDXを使って作るサウンドは、もうちょっとふくよかな感じがしました。「アメリカだとこれを何も加工しないで使っちゃうんだよね。なんとかしてほしいなあ」って、YAMAHAの人が言ってましたから。なるほどなあって(笑)。

―― 富澤さんは、もともと洋楽から音楽を聴き始めたんですか?

富澤:最初はもう、洋楽にどっぷりでしたね。それと並行して中学の頃にCharさん、世良公則さん(ツイスト)、原田真二さんの日本の「ロック御三家」が出てきて。

新川:Charは僕と同い年で、小学生の頃に一緒にバンドをやっていたんですよ。

富澤:はい、そうですよね。存じ上げてます。

新川:でも、イギリスものだとかアメリカものだとかはわからなくて、単に外国の音楽として聴くわけです。あの当時、僕らはレッド・ツェッペリンとかのコピーをやっていたんですけど、同時にザ・テンプターズもやるんですよ。そこが小学生らしいところで(笑)。大人になったら、「それは違うものでしょ」って思うけど、子どもはカッコイイものが好きだから関係ないんだよね。

富澤:僕は、メインはビートルズで、邦楽はグループサウンズ以降の新しいバンドムーブメントのコピーをやったりしてました。欧米の洋楽は、やっぱりそこから生まれた本場の音楽という感覚でいました。日本の音楽はそれを借りてやっているようなイメージがあって。楽器を持ったときは、なるべく本場の音楽に近づきたいという気持ちがあった気がします。

―― そんな中で、オメガトライブの音楽はそれまでの日本の音楽よりは洋楽に近いような印象を持っていたのでしょうか?

富澤:そうですね。僕が聴く音楽は二極化していて、ロック、パンク、オルタナ、ニューウェーブと、ファンク、ソウルとかの黒人音楽を同時に聴いていたんです。オメガトライブは、サウンドに黒人音楽のフィーリングを持ち込んで、それを日本語でしかも歌謡曲の土壌で闘って発表し続けていて。バンドかと思ったら、単純なバンドとも捉えられない、音楽プロジェクトのような、でも佇まいはバンドのような、画一的じゃなくて捉えどころがない魅力を感じましたね。それで特別に覚えていた記憶があります。だから、どんな人たちが制作しているのかに興味を持ったんだと思います。

―― (『To Your Summertime Smile』収録の)「君は1000% 2nd Line」は聴きましたか?

富澤:はい。レジェンド的な曲なので、僕が言うのも憚られるんですが(笑)。元のパンチのすごさが当時聴いていて刷り込まれているというのがあるんですけど、その曲をリメイクしてまた今の空気感にしているというのは、並々ならぬ思い入れがある方がいないと作れないことだなと思いました。初めて聴く方には、おそらくリミックスの「君は1000%」が先に響いて、それを機に元を辿ってオリジナルを聴いて、当時の音楽がまた広がっていくような聴き方がされるんじゃないかなって、そういう意味のあるリリースなんじゃないかなと思います。

新川:「君は1000% 2nd Line」は、当時のカルロスのボーカルテイクをそのまま使っていて、演奏の部分を全部入れ替えて新しくするというコンセプトでした。カルロスは今ブラジルに住んでいて、コロナの前は年に1回は来日していたんだけど、今は会うこともままならなくて。40年前のボーカルに新しいお洋服を着せるというのは、やりすぎちゃうとすごく失礼な話になっちゃって、カルロスに「新川さん、それはないよ」って言われちゃいそうな気がして、あんまり変えられないなと思ったんです。だけど、あのボーカルテイクはまだカルロスが10代の頃で、それが今は50代になっているわけだから、そのままなのもまた酷かなと。だから、ちょっとだけテンポを落としているんですよ。その辺が折衷案かな、ということで作りました。

富澤:その折衷案というのは、間はシームレスに無限にあるわけじゃないですか?テンポ、サウンドのフィーリング1つ取っても。その中庸を探す作業の果てしなさを感じました。「これでいいのかな?」って思ったり、「これにしよう」って決めたりする制作現場を想像すると、僕としては夢が広がりますね。

―― 富澤さんが「君は1000%」をカバー編曲したときは、どんなことを考えていたんですか?

富澤:アルバムのアーティスト名義は港カヲルですが、実質的にはグループ魂というバンドで、アルバムにカバーを何曲か入れよう、という事になって。メンバーとスタッフでたくさん曲の候補を出して、「君は1000%」はあえてバンドのメンバーの演奏でやったら面白そうだね、ということで早々に決まったんです。「夏」というテーマ、シティ感、爽やかさ、スタイリッシュさ、スマートさという、今までのグループ魂にはない対極的な音楽に挑戦しようという気持ちで取り組んだ覚えがあります。歌い方や最終ジャッジはたいがい宮藤官九郎君にお任せするんですけど、このカバーに関しては僕がデモから作って、何回もやり取りしてプリプロまで作ってから、それをバンドで練習して、微調整していった感じです。基本上物がギター2本のバンド編成でキーボードはいないので、その中でどう成立させたらベターかということを自分なりに工夫して、シンプル化や、省けないコードのテンション感の強調、流れ、ギターの特性を活かしてやる上で「こっちの方がいいんじゃないかな」と思うリメイクをさせてもらいました。ギターリフをよりプッシュして、パンチを効かせられたらいいなとも思って、薄く打ち込みも入れましたが、なるべく聴いた印象のメインは2本のギターにフォーカスをあてつつ、元の曲の雰囲気をできるだけ損なわないように心がけてやりました。やはり、そこの折衷案は果てしなく探りました(笑)。

―― 新川さんは、お聴きになりましたか?

新川:はい、先ほど聴かせてもらいました。「これは、新人類が作ってるな」と思いました。

富澤:ありがとうございます!(笑)。

新川:確かに「君は1000%」なんだけど、「へえ~、こういうことなんだ」と思いました。ギタリストだとかそういう次元を超えて、全然違うものになっていました。もう、宇宙人ですよ。

富澤:宇宙人(笑)。グループ魂の中で、音楽を生業としているのは僕だけで、他のメンバーのほとんどは役者、脚本が主たる職業で、音楽を突き詰めるというよりは、「どうやったら面白いか」ということに重きを置いて作っているんです。だけど、あまり崩しすぎたり悪ふざけしすぎてもトゥーマッチになってしまう。かといって真面目にやりすぎて、本気で音楽の土壌でやっている人たちと肩を並べるのは憚られるっていう、良い意味の謙虚さはあるんです。その中で、オリジナルに失礼のないようにというか、なんというか……(笑)。

新川:いや、「コピー」じゃなくて、ちゃんと「カバー」になっていると思いました。同じようにやったらオリジナリティがなくなっちゃうし、そうじゃなくてまったく別物になっているから、それはそれで大正解じゃないですかね。

富澤:本当ですか?良かったです。「宇宙人」っておっしゃっていただけたのはメンバーが喜ぶと思います(笑)。

新川:喜んでください(笑)。

―― 新川さん、『The Reverb 2022 OMEGA TRIBE』はどんなことを考えて選曲および収録曲順を決めましたか?

新川:元の音源は決まっているわけですから、それをザっと聴いていって、上手くできている順に並べました。

富澤:シングルカットされている曲が多く収録されていると思うのですが、それ以外のアルバム曲との関係というのはどうお考えなのでしょうか?

新川:オリジナルの作品を作っていたとき、シングル曲っていうのはものすごく期待が大きかったんです。つまり、CMのタイアップが付いていたり力が入っているわけですよ。アルバムにだけ入る曲というのは、そういう意味で力が抜けている良さはありますけど、曲を並べたときに、やっぱりシングル曲の方がいろいろと盛り盛りなわけです(笑)。そうすると、そちらの方が良く聴こえるというのはありますよね。だから、よくできた作品を順番に並べた結果、シングルの方が多くなったということかもしれないです。

富澤:ああ、なるほど。逆にアルバム曲で、後々までシングルと同じぐらい良い曲になったなと思う曲はありますか?

新川:「海流のなかの島々」(作詞:田口俊 / 作曲:和泉常寛・新川博 / 編曲:新川博)です。この曲はもともとオメガの曲の中で一番好きというか印象に残っていたんですけど、今回の打ち合わせのときにプロデューサーの志熊君に「この曲が一番印象に残ってるんだよね」って話したら、「これ、おまえが書いた曲だよ」って言われて、「うそ!?そうなんだ?」って(笑)。

富澤:かなりお忙しいかったでしょうから、忘れてしまっていたんですね(笑)。

新川:和泉さんとの共作になっているんですけど、オメガの後半は和泉さんからとりあえずコードだけ送られてきて、「かっこいいリズム作っておいて。後でメロを考えるから」ということが多かったです。それで僕がリズムアレンジを付けて、和泉さんに「さあ、メロをどうつけるの?」って戻すこともありました。

富澤:それは、コード弾きしたものが録音されて送られてくるんですか?それとも譜面だけですか?

新川:いや、一応録音していました。

―― 今回、「アクアマリンのままでいて」に新しいアレンジを施した「アクアマリンのままでいて2022」が収録されています。大ヒット曲の1つですが、編曲する上でどんなことを考えたのでしょうか?

新川:まだ制作中なんですけど(※この対談は4月14日に行われた)、この曲のオリジナルはLAでリズムを録ったんです。今回はどうしようか考えたときに、もうドラム、ベースはいらないか、と。それでピアノを家で録って、生ギターを吉川忠英さんにスタジオで弾いてもらって、オリジナルのカルロスの歌を合体させました。今の段階で、ピアノと生ギターと歌だけの状態です。歌はそのままで、テンポも変えていません。そのままいければそのままで完成ですけど、何か足りなければまた考えようかなと思っています。レコードメーカーからすると、聴いてもらうファンの方に、「ああ、こんなに違うんだ!?」って感じてもらいたいというのがあると思うし、そのためのボーナストラックなわけだから。そこは楽しんでもらえればいいかなと思います。

―― 富澤さんは、カルロス・トシキさんのボーカルについてはどう感じていますか?

富澤:当時から思っていましたけど、日本語で歌っているけど、悪い意味じゃなくて流暢じゃない違和感が、他よりも浮き立って聴こえるというか。マッチしすぎていない、ちょっとしたカドがある言葉の響きを感じました。

新川:そうなんですよ。言葉の響きもそうなんですけど、モノの考え方も全然日本人と違っているんですよ。モノの考え方、人生観、世界の平和についていろいろ語りますけど、僕ら日本人よりカルロスの言ってることの方が人間として真っ当だと思います。今だったら、戦争のこととか僕らはあんまり言えないじゃないですか。日本人とはそういうところも違いますよね。

富澤:なるほど。カルロスさんのそういう精神性も含めての言葉の響きが、一般的なポップスの中では特殊に感じるのかもしれないですね。

新川:今回、カルロスのボーカルテイクのチェックをしていて、歌詞の聴こえにくいところを補正していくと、日本人と違うところが出てくるんです。ネイティブの日本語だと、その発音のどこか一箇所をキャッチして、その後の発音が聴こえなくても意味を理解するじゃないですか?そういうところがないんですよね。全部発音しちゃうというか。それはありますね。

―― 「失恋するための500のマニュアル」には、中盤のコーラスに「アクアマリンのままでいて」のサビメロが使われていますね。これは当時どんな発想からこうなったんですか?

新川:「アクアマリンのままでいて」がドラマのタイアップになったじゃないですか?(フジテレビ系ドラマ『抱きしめたい!』主題歌)だからそれに媚を売ってるんじゃないかなあ。

富澤:ははははは(笑)。

新川:今回のリミックスでもそれはそのまま入ってます。

富澤:オマージュですかね?

新川:そう、今の言葉で言うとオマージュ(笑)。このアイディアは僕が考えたんだと思います。カルロスはブラジル人で、ブラジルといえばカーニバルということで、「失恋するための500のマニュアル」のリズムはカーニバルっぽいイメージにしたんです。それでみんなでワイワイ、ユニゾンでコーラスしようということになって、じゃあ何を歌うかって考えたときに「「アクアマリンのままでいて」でいいんじゃない?」という発想になったんだと思います。

―― 当時、プロデューサーの藤田浩一さんからのイメージの伝達は抽象的だったとエンジニアの内沼映二さん、清水邦彦さんが共におっしゃっていたそうですが、新川さんに対してはいかがでしたか?

新川:僕にはものすごく具体的でしたよ。藤田さんは、例えば「洋楽のこの曲を作りたいんだけど、どうしたらいい?」って言うんです。それで僕が「これはアメリカに行かないと作れませんよ?」って言うと、「じゃあ行って来てくれる?」って。

富澤:へえ~!

新川:だからもう、「これが欲しいんだ」っていう、超リアルですよね。最初の頃、「クインシー・ジョーンズとかマイケル・ジャクソンの音が欲しい」って言われたんですけど、その後藤田さんもどんどん変化していって、「ベイビーフェイスみたいな音が欲しい」って言うようになって。「これは生のバンドじゃなくて、コンピューターで作るんですよ」って話して、「じゃあコンピューターで作ろう」ということになった記憶がありますね。

富澤:その昔の制作現場を知ってるわけではないんですけど、本当に過渡期だったんじゃないかなと思います。先ほどお話に出たDX7もそうですけど、音楽の発展と楽器の発展って両輪じゃないかなって。そういう意味では新しい楽器が出てきても、それを使わずに、昔から馴染んだ楽器でトラディショナルな音楽やるという選択肢もあると思うし、新しいものを面白がってそれに挑戦して新しい音楽を作ろうと格闘していくタイプの人もいると思うんです。お話を伺っていて、それこそ新川さんたちは格闘しながら作っていたんじゃないかなという気配を感じました。あの頃作った作品のほとんどが、すごく大変だったんじゃないかなって。

新川:とくにあの時期が、録音機材が劇的に変わった時期なんですよ。

富澤:そうですよね!

新川:それこそビートルズの時代はアナログテープの4chぐらいから始まって、8ch、16ch、24ch…という風にチャンネルが増えていったわけですけど、オメガぐらいの時期になると今度はデジタルテープが出てきたんです。それも24chとか32chとかあったんですけど、それだけだと足りないんですよ。じゃあどうするかというと、物理的に回ってるデカいテープレコーダーを2台同時に「せーの!」ってボタンを押して、それがちょうど合うようにシンクロナイザーという機械で合わせていくんです(笑)。それと、コンソールのフェーダーを動かすのをコンピューターに覚えさせるんですけど、そのコンピューター自体が、たぶん任天堂のゲームよりも単純なおもちゃみたいなものだったんです。だから途中で壊れちゃう(笑)。そうすると、6時間ぐらいかけてできたレコーディングのデータが一瞬のうちになくなってしまうんです。そういうのが日常茶飯事で。テープレコーダー2台も合わせないといけないし、コンピューターのミックスの情報も合わせなきゃいけないし、その3つがどこかしらズレたら、「はい、もう1回やり直し」ってなってましたから。すごい世界ですよ(笑)。

富澤:いや~、聞くだけで汗ばみます(笑)。

新川:その後、ハードディスクレコーダーが出てきて、それからPro Toolsになって、チャンネルは湯水のように使えるようになったんです。今の人たちには想像もできないと思いますけど、当時はミックスというと必ず朝の5時6時までやっていましたから。そういった意味では一番大変な時期でしたね。

―― そんな状況の中で、新川さんはトライアングル・プロダクション作品のメイン・アレンジャーとして、さらには林哲司さんのトライアングル以外での作曲作品のアレンジなども一手に引き受けておられました。昨今のシティポップブームで80年代当時の仕事、例えばラ・ムーなどは海外でも評価されています。今のそうした再評価についてはどのように受け止めていらっしゃいますか?

新川:ラ・ムーを作ったときに僕は、「おまえ、なんてものを作ってくれるんだ!?」って、菊池桃子さんのファンに殺されるんじゃないかと思いました(笑)。自分でも「こんなことやっていいんだ!?」って思ったし、今でも思っていますよ。でも小室哲哉君が、「アイドルがブラコンやってもいいんだ!?」と思って、それで勇気を出して一連のJ-POPを作ったって言ってくれていましたけどね。確かに、あの当時ブラコンで菊池桃子が歌うなんてことはあり得なかったわけです。だって、(当時のトップアイドル)菊池桃子ですよ?それがラ・ムーはまずいでしょっていう話になるじゃないですか、常識的に(笑)。でも最近、ヨーロッパの方であの辺のJ-POPが流行ってるということを聞いて、やって良かったなと思いますけどね。

富澤:(シティポップブームについて)自分たちの意識していない中で、期せずして個性的なものが出来上がっていたというか、独特のものができていたんじゃないかなと思うんです。当時はあまり聴かれる機会がなかったものでも、インターネットの時代になって、聴く人が聴けばその面白さとか、今にはない味わいが新鮮に聴こえるんじゃないかなって。それと、今みたいに音楽知識が全くなくてもパソコンでパッと作れるものとは、サウンドグレードが違うということを感じているのかなという気はします。

新川:あの頃の日本人は、ウォークマンを作りましたよね。あれは画期的でしたけど、その後が続かなくて全部Appleに持っていかれちゃいましたよね。でも、iPodのもとはウォークマンだと思うんですよ。あれを考えだしたSonyは日本の宝だと思うし、あの発想が80年代の電化製品にも音楽にも全部入っているんじゃないかと思います。

富澤:ああ~、なるほど。

新川:あと、僕はアレンジャーなので譜面を書きますけど、アメリカにレコーディングに行くと、アメリカの譜面って三段譜になっているものが10ページとかあって、巻物みたいになっているんですよ。

富澤:それは、譜面を記号どおりに戻って見ないということですか?

新川:そこが、アメリカ人なんですよ。D.C.(ダ・カーポ)とかD.S.(ダルセーニョ)とか反復記号を使えばコンパクトにできるじゃないですか?でも、外国人の作る譜面は行ったきりで、どうしても長くなっちゃうんです。僕の譜面はちゃんと戻るし、A4の譜面2枚に5分の曲が収まるわけですよ。それを見て、外国人のミュージシャンに「おまえの譜面はSonyみたいだな」って言われたことがありますね(笑)。Sonyって「こんなにコンパクトでこんなに機能的なんだ」っていうイメージなんですよ。日本人ってそういう風に見られてました。そういう、コンパクトでコスパの良い、性能の良いものを日本人は作るんですよね。

―新川さんは、時代の移り変わりと共に変化した音楽の聴かれ方については、どのように感じていますか?

新川:僕らは、アナログからデジタルに移行したときにものすごい大きなミスをしたと思っています。アナログの時代はレコードをコピーしてカセットに録音して楽しんだじゃないですか?でも、それはコピーであってオリジナルとは違うわけです。デジタルの時代になって、僕らはコピーさせないようにするにはどうしたらよいかということを、必死に考えていたわけですよ。僕らの頭の中に、コピーという概念しかなかったんです。でも、デジタル上でそれをやることは、コピーではなくてクローンなんですよ。価値観も含めて、元と同じものができるわけです。そこで大きく道を踏み外したと思います。あのとき、コピープロテクトなんて考えずに、どんどんコピーさせちゃってクローンを作らせておけば、今みたいに「YouTubeで楽曲をかけちゃダメ」なんていうことにならなかったんですよね。どんどん放出しちゃえばよかったんですよ。でも、じゃあどこでお金を得るかといったら、無料でクローンを聴いて、「いいなと思ったら」必ずホンモノを聴きに来るじゃないですか。そこでお金を得ればいいんです。それまでは、カタログで良いと思うんです。今一番思っているのは、僕らは清涼飲料水のような商品じゃなくて、日本酒とかワインとかそういう価値観のものを作っているんです。でも、今の音楽の商売は、さも100円のソーダを売っているかのような商法じゃないですか。日本酒やワインは、同じ商品でも値段が違うんですよ。僕らはそういう商品を作っているわけだし、そういう売り方をしないと、絶対立ち行かなくなると思います。それと、コンサートチケットについてもそうです。僕らが中学生ぐらいの頃に行っていた日本人アーティストのコンサートは、当時でも1,000~2,000円していました。今では高くなりましたけど、それでも8,000円とかですよ。だけど、サッカーのプレミアチケットは10万円ぐらいしますよ。そういう商売で全部世界が成り立っているのに、日本の音楽だけ、その差がほとんどなくて、おかしいと思います。売れている人は、アリーナが10万円でもいいわけですよ。それをみんなが欲しいから価値があるわけで。CDだって、再販制度とか全部取っ払って、この人のCDは一枚2万円なんだよと。そういう商品もあったら、ものすごく魅力的になると思います。だけど日本人の発想だと、「2万円のCDを作るなら桐の箱にでも入れないとね」ってなっちゃうんですよ(笑)。でも、要するに内容が勝負なんですから、そこで勝負する国になってほしいですよね。

富澤:同感です。商業音楽ということだけじゃなくて、音楽を続けていくための活力をどこで生み出していくかというのは、課題かなって思います。このままじゃ厳しいなというのは、やっている身としてはありますね。しかもコロナ禍になって、八方塞がりみたいな気分になっちゃうみたいなこともありましたけど、そうじゃなくて大なり小なりいろんな形があるかと思うし、もうちょっと大胆で自由な発想や、やり方があればいいかなと思ったりもしてます。

―― 今回、制作にあたって、ワーナーでのカルロス・トシキ&オメガトライブ期までかなりのオリジナル曲を振り返ってお聴きになったと思います。聴いていて何か新たな発見などはありましたか?

新川:前作のときに、リミックスするためにマルチテープから音を全部立ち上げて聴いてみたんですけど、今のクオリティから考えると、入っている音の1つ1つが素晴らしく良い音なんです。お金のかかっている音なんですよ。これは今の制作コストでは絶対にできないなと。やっぱり、僕らにしてみれば良い空間で良い音で録りたいし、それを実現するためには、それなりの経費が必要なんです。それが、あの当時の音源には詰まっているというのを、すごく実感しました。それをまた2022年にもう1回紐解いて、最新の技術で作り直すと、今では絶対できないようなクオリティのサウンドが出来上がるんです。それはすごく感じました。今の時代では、スタジオもないし、それだけ予算をかけてくれるプロジェクトもないし、無理ですよね。逆に言うと、その体験ができた僕らは幸せだなって思います。

富澤:良い音を聴いて体感している人と、未体験の人では、かなりの差があるんじゃないかなって思います。それをたくさん体験なさっているというのは、うらやましいです。僕も時期的に、経験できる機会にギリギリ間に合っていくつか良い音を聴いたことはあるんですけど、全然違うなって思いました。でもそういうことを言うと、極端に言えば「みんな今や携帯で音楽を聴いているから、それを気にしている人はほぼいないから」的な話になることも多いですね。それはそれで、そういう聴きかたの人向けの音楽もあるのかなって思いますし、そういうプロジェクトがあってもいいのかなとは思いますけど、かたや音も楽器もホンモノを体で知っている方に、それをどうにかして繋いで、残していってもらえたらいいなっていう思いもあります。

新川:本当は、3歳か5歳ごろに良い音の体験ができれば一番いいんですよ。僕は3歳の頃にピアノをやっていましたけど、その頃にピアノを習うと絶対音感が付くんです。でもそれは20歳になっていくらピアノをやっても身に付かないです。だけど逆に、僕らが小さい頃はロカビリー、ロックンロールとかの8ビートしかなかったんです。でも今の子は3歳ぐらいから16ビートに慣れているから、リズム感は今の子どもの方が圧倒的に良いですよ。それは勝てない(笑)。それと、今は複雑なコード感がテレビとかネットから聴こえてきますから、勘の良い子なら小学生ぐらいでも、すごいテンションのコード感が身に付きますけど、僕らの時代にはドミソしかないぐらいで、途中でレとかファの音が入ると理解できなくなっちゃうんですよね。それは圧倒的に僕らが今の時代の若い人たちよりも劣っているところです。だから世代によって基本的な部分は一長一短ありますけど、コンサートホールにしても音響装置にしても、初めて出会う音楽がそういうところで体感できたら、ミュージシャンとして伸びる人は伸びると思います。

富澤:良い音って、本当にドラムのスネア1つ聴いただけでも、ものすごく感動しますよね。それはパソコンのみのプライベートスタジオで作る音楽にはとどかないゾーンかなって。でもそういうものが融合してより良い音楽がこれから生まれ続ければいいなって思います。

―― 改めて、富澤さんがオメガトライブ作品、新川さんのアレンジから受けた影響ってどのようなものですか?

富澤:当時の最新の黒人音楽のテイスト、最新の楽器のサウンドも含めて、それを日本の音楽フィールドに積極的に取り混んで、果敢に大衆音楽の場の真ん中で挑戦して闘ってきた人たちの志を感じます。今改めて聴くと、音楽に膨大なエネルギーが注がれて、渦巻いていた時代の気配をまだ感じさせてもらえるとも思います。そこに匂い立つ曲群には、「これはできないな」という意味では、なかなか近づけないと思うし、逆に機会があればそれに相応するような音楽作りを自分でもやってみたいなっていう、振り子のような気持ちがあります。

―― 富澤さんから、新川さんに訊きたいことは他にありますか?

富澤:新川さんはソロアルバムも発表されていますが、ご自分のテーマとなるような作品に関しての創作方法と、商業音楽というか、仕事としての取り組み方では、心構えとしては分かれているのでしょうか?

新川:いや、分かれてないですね。器用にできればいいんですけど、なかなかそうはできなかったです。

富澤:ああ、そうですか。僕個人の話になっちゃうんですけど、例えばグループ魂のような限定的な関わり方、または依頼があってはっきりした役割でやらせてもらう音楽と別に、自分発信のホームバンドとソロも作っているんですけど、それに関しては商業性みたいな意識から離れて作っているんです。その行き来、切り替えがなかなか難しいことがあるんですよね。

新川:今の時代だったら、それは富澤さんみたいなやり方しかないと思う。僕らの時代は、仕事量が半端なく多かったんですよ。要するに、1日にもう2~4曲を1年中ず~っと作っていく世界ですから。そうなってくると、もうこなすだけで精一杯ですよ(笑)。

富澤:なるほど、オメガトライブのときもそういう状況だったんですか?

新川:オメガよりもっと前ですね。オメガのときは、シンセサイザーだから自分で弾けるじゃないですか。でもその前は、オーケストラとかブラスセクションの譜面を書いて録音していたから。それを毎日やるんですよ。

富澤:気絶しそうですね(笑)。

新川:ねえ(笑)。そのために譜面を書かなきゃいけないから、スタジオが夜11時に終わって、普通だったら飲みに行きたいところだけど、僕の場合はそこから家に帰って仕事部屋で翌日の分の譜面を書くわけですよ。あの当時はFAXもまだない時代ですから、朝6時ぐらいになると、「写譜屋」という譜面を書く専門の人が家まで取りに来るんです。それで書き終えた譜面を渡して、とりあえず2、3時間寝てから12時にスタジオに行って指揮棒を振って。それが毎日ですよ。でも、やっぱり飲みには行きたいから、ちょっとだけ飲みに行って早めに引き上げて帰ってきてまた譜面を書くんですけど、酔っぱらってるから#とか♭とかが抜けまくっていて、いざ録音を始めると間違いだらけで「うわ、やべぇ~!」って (笑)。とにかく、毎日毎日譜面を書いて録音の繰り返しでした。

富澤:そうとう大変そうだとは想像していたので「やっぱりそうだったんだ!」って思いました(笑)。そういう時代を経て、ずっと続けてこられて現在も身も心も健康で音楽を作り続けていらっしゃるというのは、すごいですよ。

―― 新川さんから、富澤さんにこれから期待することなどはありますか?

新川:宇宙人なので、素晴らしいと思います(笑)。これからどんな音楽が出てくるのか楽しみです。「先輩たちがこうだったからこうしなきゃいけない」なんていうことはないので、どっちに行こうかとか、どんなスピードでやろうとか、それは自由にいろいろ考えてやっていけばいいと思います。

富澤:ありがとうございます!

―― では最後に新川さん、改めて『The Reverb 2022 OMEGA TRIBE』はどんな作品になりましたか。

新川:40年振りに昔のマルチテープの音を聴いてみて、ものすごく発見がありました。その頃青春だった人はもうしっかり年齢を重ねていると思いますけど、あの頃の感覚というのはそのまま年を取っていきますから、今もその当時の仲間、オメガのメンバーとご自分のことも含めて、ずっと共有できるものだと思います。それを今、メンテナンスをして世の中に出そうとしていますので、もう1回聴いてみてください。そうすると、そのとき体験した甘酸っぱい思い出とかが、匂いと共に全部立ち昇ってくると思いますよ。そんな感じを思い出しやすいリミックスになっています。是非聴いてみてください。

取材・文:岡本貴之
写真:刀塚浩介

富澤タク
Special thanks: CA4LA, RUDE GALLERY
ヘアメイク:坂野井秀明(Alpha Knot)