「GUY'S HEART 〜 Charlie's Lupin Songs」


TVアニメ『ルパン三世』('71)のエンディングフィルムで、峰不二子が走らせるバイクのシルエットを背景に浮かぶ「主題歌 歌:チャーリー・コーセイ」の文字……
当時のアニメ主題歌の常識を超越した大人のニオイのする歌声が、このナゾの名前とともに心に焼き付いてから30年。
本作「GUY'S HEART 〜 Charlie's Lupin Songs」のライナー・ノーツでは、ルパンファンの間でも長年のナゾとされていた彼の素性や経歴について迫るべく、ロングインタビューを敢行しました。
ライナー・ノーツの誌面では収まりきらなかったその全貌を、インタビュー形式のまま、本ホームページのみで限定公開します。

−−−音楽に目覚めたのは、いつ頃でしょう?
かなり小さい頃ですね。母親が音楽が好きで、物心ついた時にはすでに家にレコードプレイヤーがありました。美空ひばりや江利チエミを一緒に聴いたり、宝塚歌劇や雪村いずみのリサイタルなんかにもよく連れていってもらいましたよ。それから小学生のとき、プレスリーに惚れこんで…… 今でもまだその頃のアルバムは全部持ってます。唱うことも好きでした。小学校で合唱とかやるでしょ? そういう時は、必ずリードヴォーカルやってましたから。

−−−楽器の演奏やバンド活動を始めたのは?

インターナショナル・スクールの中学2年のとき、今で言うライブハウス…… 昔は「ジャズ喫茶」って呼んでましたけど、そこのオーナーの息子が転校してきてね。で、彼を中心に音楽好きの仲間が集まってバンドやらないかってことになって。ちょうどその頃ビートルズも出てきて、みんなカッコいいなぁって思ってたからね。それが "ザ・ヤングビーツ"というバンドです。最初のメンバーは7.8人はいたかな? でも1人抜け2人抜けて…… その頃はギターやってると不良って言われる時代だったからね(笑)

−−−その頃のレパートリーは、どのような曲を?

ビートルズ、ストーンズは当然だけど、他にはアニマルズ、スペンサー・デイヴィス・グループなんかかな。別に意識したわけじゃないけど、イギリスのバンドが多いね。この頃だと、イギリスのセンスの方が先行してたから。アメリカの本物のブルースを、まずイギリスの白人がコピーして、それをさらにアメリカの白人が逆輸入していった……みたいな感じで。アメリカはその頃モンキーズとか、そういうイメージがあって(笑) それよりはやっぱりクラプトンやジェフ・ベックのほうがカッコいいと思ってたからね。ベンチャーズなんかも演ったけど、丸コピーじゃつまんないから全部自分たちなりにアレンジしてました。当時、グヤトーンって楽器メーカーのコンテストがあって、72バンド出場して…… でも、ほとんどがベンチャーズそのままなんだよね。で、僕らだけヴォーカル入れてビートルズやって。大拍手だったんだけど、リードヴォーカルがアガって歌詞忘れちゃって、結局敢闘賞でしたね(笑)

−−−そのヤングビーツが、伝説のバンド「ザ・ヘルプフル・ソウル」(※1)になるわけですね?
そうです。ヤングビーツを高校3年まで続けて、そこでプロになるヤツと、真っ当な仕事するヤツに分かれてメンバーを整理して。で、「ザ・ヘルプフル・ソウル」に改称したんですよ。「人々の魂を救済するソウルを持った者達」……という意味で名付けたバンド名です。大阪・神戸中心で活動してましたけど、何度か東京のプロダクションに誘われたこともありましたよ。その頃、日本語の歌詞で歌うグループ・サウンズのバンドが人気だったから、僕らも日本語で歌ってくれって言われたんだけど、それはもう頑なに拒否しました。それでもう、ウマい仕事の話はみんなパー(笑)ジミヘンやクリームみたいなのばっかり演ってるから、一般受けはしないよね。でも、それだけだとさすがに仕事来なくなっちゃうから、サム&デイブみたいなR&Bとか、ダンサブルな曲も多少やりましたけど。一度、大阪フェスティバルホールで、テンプターズの前座をやってね。すごい歓声なんだけど、緞帳が開いて僕ら見えた途端「……シーン」って(笑)

−−−ヘルプフル・ソウルでは、レコーディングもされましたね。

はい。ビクターからLP『The Helpful Soul First Album 〜 ソウルの追求』(※2)が出ることになったんだけど、これはもう完全な一発録音。3時間くらいで全部録り終わっちゃったから。ほんとは十数曲演ったんだけど、色々ボツになって残ったのがこの7曲。僕はベース担当で、2曲くらいしか歌ってないんだよね。ジュニオっていうリードヴォーカルが別にいたから。


−−−その他にも、アニメ映画『千夜一夜物語』(※3)のサウンドトラックにも参加されてますね。
なぜヘルプフル・ソウルに声がかかったのか、詳しい事情は僕にもわからないんだけどね。この仕事は、なぜか僕の歌をメインで…… という話で来たんだよ。どうも僕の声質を気に入ってくれたらしくて。たぶん誰かがヘルプを見つけてくれて、音楽監督の冨田勲さんに紹介してくれたんだと思うんだけど。録音では、僕らの演奏と冨田さんのオーケストラの曲とでは、別々でした。もちろん、僕らの録音にも冨田さんは来てましたけど。

−−−冨田勲さんとお会いになりましたか?

もちろん。ご自宅にも遊びに行きましたよ。冨田さんの部屋は、既にもうその当時から、ビックリするくらいの機材の山でしたね。で、冨田さんは、それでクラシックを電子音楽にするみたいなことをやってたわけでしょ? その時、僕は一言、「これで8ビートやったら面白いんじゃないですか?」って言ったんだよね。その10年くらい後にYMOなんかがソレをやって大ヒットしたじゃない。オレって頭良すぎたんちゃうか〜? って思ったね(笑)

−−−大阪万国博覧会の東芝IHI館の音楽(※4)は、その時のご縁で?

そうですね。また冨田さんに呼んでもらいました。この時の録音は、大阪の大きなホールでしたね。ストリングスやホーンセクションの厚いオーケストラがいて、冨田さんのすごいアレンジで、石川晶さんがドラムで…… これも解散直前のヘルプフル・ソウルで参加してるんだけど、演奏についていけなくて困った思い出があります。
オーケストラ用の譜面で何百小節もあるからね。僕なんかベース弾いてて裏拍になっちゃったり(笑) 歌も僕だったんだけど、若かったから何十人のオーケストラを背負って歌うなんてアガっちゃって、歌だけあとで録りなおししました。それで結局、ヘルプフル・ソウルのメンバーのショウジは、この後、冨田さんのアシスタントになってワールドツアーを一緒に回ることになるんだよ。

−−−さて、いよいよ『ルパン三世』('71)ですが、チャーリーさんがルパンに参加さ れる経緯については、なぜかいろいろな説あるようですが?
そうみたいだね。フィリピンから来たとか、佐良直美さんの紹介とか……(笑)いや、ホントはもう簡単な話なんですよ。田代敦巳さん(※5)から電話がかかってきたんです。これはハッキリ覚えてます。なぜ田代さんからかかってきたのかは、わからないんだけど……

−−−田代敦巳さんは、『千夜一夜物語』の音響監督もされてますから、その時のご縁で は?
あぁ、そうだったんだ。じゃあ田代さんが『千夜一夜物語』のことを覚えていてくれて、それで『ルパン』に呼んでくれたんだ。間違いないね。

−−−『ルパン三世』の録音の時のお話しを聞かせて下さい。

あの時は、前もってデモテープを下さいと言ってあったのに結局届かなくて、当日、スタジオで譜面をポンと渡されて困りました(笑) 私はスタジオミュージシャンじゃないから、初見の譜面や、譜面通りに歌うのは苦手なんです。劇伴のミュージシャンの方達は、そういう録音に慣れてる人ばかりだけど、僕はミュージシャンのタイプとして全然違うんです。だからピアノでメロディを教えてもらいながら謝ってばかりでしたね、うまく歌えなくて。 その時は劇伴の方達もスタジオにいたのを覚えてますから、たぶん山下毅雄さんは、歌と演奏を同時に録音しようとしてたんだと思います。ただ、ぼくが一発では上手く歌えなかったから、後から録り直しましたのもありますけど。結局、時間が足りなくなって1曲だけ録音が延期になったように覚えてます。
−−−いくつかの劇中曲や「Afro"Lupin'68"」では、断片的な英語でセリフのように歌われてる曲が多いですが……
あれはほとんど、言葉もタイミングも僕のアドリブですね。スタッフに「なにか英語で言って下さい」って言われたから。"Walther"や"P-38"といったアニメの設定上の言葉はスタッフが事前に用意していたものだけど、"machine cries"なんかは僕のアドリブですね。

−−−TV版とは別に、「ルパン・ザ・サー"ど"」と発音しているレコード版(※6)の録音がありますが。
あの日本語風の発音は、レコード会社の人に指示されました。TVと違って、子どもが買うことを意識したレコード用の歌だからね。たぶん、そのほうが良いという判断だったんじゃないかな。

−−−『ルパン三世』の後は、どのような音楽活動を?

ルパンの直後くらいから、東京に2年くらい住んでいて、銀座や六本木の店で歌いながら、いくつかTV関係の仕事もしました。アニメの『荒野の少年イサム』とか、時代劇の『幡随院長兵衛 お待ちなせえ』とかだね。両方とも確か田代さんから来た仕事でしたね。あと『電撃ストラダ5』とか? ほとんど覚えてないけど、そんなに数はやってないです。CMソングもいくつかやりましたよ。ローカル中心だったけどね。

−−−その後、神戸に戻られて……

そうです。また仲間と大阪・神戸・京都を中心にライブハウスで歌ってました。その後しばらくして、1981年に神戸に自分の店を持って、それからはそこを拠点にして、今でも毎日歌ってます。

−−−ルパンの歌をライブで歌うことはあったんでしょうか……?

いや、その頃はルパンは全く歌ってなかったからね。十何年間も。自分の音楽が、ルパンのイメージだけで見られるのがイヤだったから。ところが、だんだんお客さんが歌え歌えって言い出すようになって、でまぁ、ある程度時間も経ったし、シャレで歌うのもいいか…… と思えるようになってきたのがここ十年くらいですか。自分でも忘れちゃってたから、息子にルパンのCD買いにいかせてね(笑) で、歌ってみたら反応がスゴいんで驚いたよ。だいたい、カラオケにルパンの歌が入ってるのすら知らなかったから。それに奥田民生さんとかもカヴァー(※7)してたりするじゃない。みんなが、あの歌(「主題歌II」)を好きでよく歌ってくれてることにあらためて気づいて、これは大事にしたほうがいいな…… と考え始めたのが十年くらい前かな。

−−−チャーリーさんには、名前の表記の仕方がいろいろとあるようですが……?
ヘルプフル・ソウルのときは「チャールズ・チェー」だし、他の時も「チャーリー・チェイ」とか「チェイ光星」って名前になってるでしょ。この「チェイ」っていうのは、小学校からのぼくのアダナです。なんでチェイって呼ばれ始めたのか全然分からないんだけどね。気づいたらいつのまにか、周りからチェイって呼ばれてて。 僕の本当の芸名は「Charlie」なんですよ。チャーリーだけ。ところが僕の知らない間に、ルパンのTVやレコードでは「チャーリー・コーセイ」になってたんだよね。チャーリーは芸名で、コーセイ(光星)は本名…… TVに名前が出たとき、「どっちも名前やんか!」ってビックリしました(笑) だって両方とも1stネームでしょ? おそらくスタッフの方が、"コーセイ"を苗字だと勘違いしたんでしょうね。でも、みなさんに「チャーリー・コーセイ」でなじんで頂いてるので、もうこのままでいいですけど。


−−−チャーリーさんの現在の音楽スタイルは?
ぼくの基本は昔も今もブルース・ロックです。世代的にはB.B.キングやクラプトンの影響は大きいですよね。でも、あんまりジャンルにこだわることは好きじゃないから、「いい曲」とか、「歌ってみたいな」という注目の仕方で、どんなジャンルの音楽も聴きますし演奏もします。10年くらい前から注目され始めた「アンプラグド」(※8)のスタイルにはすごく共感しますね。自分でもアンプラグドのユニット持ってますし。人間が本来心地良いと感じる音は、やっぱり生の楽器の音ですよ。ギタリストでも、アコースティックがちゃんと弾けない人は、ギタリストとして認めたくないね、僕は(笑)

−−−ここ数年、ルパンのトリビュートやREMIXのCDがブームになって、再びルパンの歌
をレコーディングする機会が巡ってくるわけですが……

僕が新録音で参加した一番最初のは、クラウンの『山下毅雄の全貌 Mission-3』ですね。今回のCDのプロデューサーでもある山下透さんからお話しを頂いて。以前、山下毅雄さんと再会する企画のTV番組に出たことがあって、その時に連絡先を伝えてあったんです。その後も、ワーナーのCD以外は全て透さんとの仕事ですよ。

−−−VAPでの前作『Lupin The Third - TAKEO YAMASHITA "Rebirth" From'71Original Score』は、評判が良いようですね。

この盤は71年のあの感じを出すっていうコンセプトだったからね。歌も、昔の感じで歌って欲しいって言われましたよ。ルパンファンの方は、ああいう感じが一番聴きたいんでしょう。そういう思い入れにもやっぱり応えないといけないからね。店で歌うときは、リズムやテンポを色々変えたり、いろんなスタイルで歌ってますけど、それでもやっぱり、TVのあの雰囲気で歌って欲しいって言われますよ。そう、神戸の店の方にもルパンファンの方、いっぱい来ますよ。ずいぶん遠くから神戸までわざわざ…… ありがたいことですよ。でも、ぼくがチャーリー・コーセイですって言っても、「うそ〜?」っていう人、多いんだよね。歌聴いて、やっと「あ、本物だ!」って(笑) 今までルパンのCDにぼくの写真が載ったことは一度もないでしょ? だからルパンのイメージで想像してるのかもしれないけど。あと、「グッズください」とか言われるんだけど、そんなもんないからね。割り箸とかライターで勘弁してもらってます(笑)
−−−では最後に、今回の「Guy's Heart」に関して……
やはり今回は力が入りましたね。全曲自分の歌で、ジャケットに写真も載って、実質、自分のファースト・アルバムのようなものですから。僕が詞を書いた「Hey Mr.Dandy」「Sharp Work Stealer」の2曲を作曲してるのは、土井淳っていう神戸の仲間です。もう一つの新曲「Blues of the Third」は、山下透さんの作詞・作曲・編曲。こんなふうに、昔の曲を演るだけじゃなくて新しい曲を作れるというのは楽しいですよ。このCDを買っていただける方が、この新曲をどう受けとめてくれるかが非常に楽しみにですね。 最初は「ルパン」を入口としてチャーリー・コーセイを知って、このCDにたどり着いた人も、この新曲や僕のライブの歌に触れてもらって、「あぁ、こういう音楽の世界もあるんだ」と思ってもらえたらいいなぁと…… このCDをそういうステップにて欲しいですね。あとはぜひ、ライブを聴きに来てもらえると嬉しいです。ギターもガンガン弾きますし、関西ノリのシャベリもいっぱい入れますから(笑)

−−−レコーディングでお疲れの所、ありがとうございました。

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※1 ザ・ヘルプフル・ソウル
・日本ロック史の黎明期に名を残す伝説のブルースロック・バンド。1968年に結成。日本語詞のグループサウンズ全盛の中にあって、ブリティッシュ・ビートを意識した硬派なスタイルを持った数少ない本格派バンドであった。チャーリー氏は、「チャールズ・チェー」という名義で、サイドボーカルとベースを担当。他のメンバーはジュニオ・ナカハラ(vo.g)、ジーン・ショウジ(g)、司英一(ds)。

※2 『The Helpful Soul First Album 〜 ソウルの追求』
・1969年発売された、ザ・ヘルプフル・ソウル唯一のオリジナルアルバム(ビクター/SJET-8118)。1996年にはCD化もされている(P-VINE/PCD-1532)。

※3 『千夜一夜物語』
・手塚治虫氏率いる虫プロ製作による劇場用長編アニメーション映画(総指揮:手塚治虫/監督:山本暎一/1969封切)。冨田勲氏によるサウンドトラックLP(ビクター/SJET-8150/1969/未CD化)には、ヘルプフル・ソウルのサイケデリックな演奏と、チャーリー氏の歌が大きくフィーチャーされている。

※4 大阪万国博覧会 「東芝IHI館 グローバル・ビジョンのためのマルチプル・サウンズ」
・大阪万国博覧会(1970年)での、東芝とIHI(石川島播磨重工)によるパビリオンで上映された映像作品のための音楽(非売品/未CD化)。十数分におよぶ壮大なロック・シンフォニー組曲で、チャーリー氏は「チェイ光星」名義でメインボーカルを担当している。

※5 田代敦巳さん
・アニメーション製作/音響製作会社「グループ・タック」代表取締役。

※6 「ルパン三世主題歌I」レコード版
・『ルパン三世』放映当時に、朝日ソノラマとユニオンレコードから発売されたシングル盤に収録されている、「ルパン・ザ・サー"ど"」というTV版とは異なる日本語風の発音で歌われているステレオ・フルコーラス版(編曲:馬飼野康二)。現在、日本コロムビアのCDで聴けるフルコーラス版も全てこのヴァージョン。

※7 「ルパン三世主題歌II」奥田民生カヴァー
・奥田民生のソロ5thシングル、『イージュー☆ライダー』(ソニーミュージック/SRDL-4213/1996)のC/W曲として、「ルパン三世主題歌II」がカヴァーされている。

※8 アンプラグド
・「プラグを差し込まない」、つまり電気楽器の音量や音色に頼らず、アコースティック楽器を主体に行う演奏のこと。米のTV番組「MTVアンプラグド」に多くの人気ミュージシャンが出演したことにより、そうした演奏スタイルを示す言葉として90年代初頭頃から定着する。

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文中敬称略

(インタビュー・解説:古井亮太)