収録曲について
1.『mono』−GOMES THE HITMANとの静寂な対話−
染み入る言葉とメロディの応酬であった。前作「饒舌スタッカート」との対比論はどんな評論家にも不可能であった。制作チームの再編成によって作り出されたとりわけ静寂さに彩られた楽曲群は、『weekend』『coblestone』で作りあげた音像の輝きを無情にもかき消し、態々暗闇の空間を演出したあげくの果ての囁き、そんなアルバムだった。

だからこそ『mono』は何よりも心に突き刺さるアルバムである。精神状態ギリギリの中で吐き出されたかのような哀しいメロディ。日常の断片的ワードが何故にここまで響き渡るのか、という切なさ。21世紀のGTHの“POP”の新提示がそこにあり、『ripple』のアナザサイドを探求するには確実な傑作だ。
2.『omni demo』−分岐点−
『mono』制作後なのか、同時進行なのか。関係者の間にてもてはやされていた一枚のCD-Rがある。タイトルは『omni demo』。

既に山田稔明は『mono』リリースPR時から、次回作は『omni』。もうほとんど構想の具体化は終了している、と語っていた。しかし“この内容・この中身・この構成”での『omni』は、結局実体化される事はなかった。そこには後々同タイトルで具体化される『omni』とは違う、かつてのGTHが奏でていた“POP”が広がっていたのだ。

きっと山田は『mono』と『omni』、その二項対立という関係性による二部作を考えていたのではないか。であれば、「饒舌」と『mono』の対比論など、もともと成立しないわけである。GTHはより深部まで入りこみ、自分たちの在処を模索する実験を繰り返していたのだ。尚、『ripple』に収録された中で『omni demo』に収録されていた曲は皆無である。
3.「目に見えないもの」−ライトモチーフとしての猫−
山田は「饒舌スタッカート」ジャケット制作の縁で、猫のポチと共に生活する事になる。さらに『mono』制作時とリンクして、ポチは入院。山田自身による“猫の看病日記”を読むとその壮絶な日々が見て取れる。

そしてそれ以降、山田の視点による“猫=ポチ”についての分析・描写・告白が激しく展開し始める。GTHという仰々しいネーミングロゴと共に登場する “猫”というキャラクター。一見異質なコラボレートだが“猫”のイメージ(可愛らしさ、暖かさ、丸み、女性的象徴)が、山田の書く詩のイメージと自然と リンクしていく結果となっていった。

「饒舌スタッカート」で描かれた“猫”のイメージは、どちらかというと“やんちゃ感、男の子、イタズラ坊主”的な…寧ろふてぶてしさすらあるキャラクターとして表現されていたが、ビデオクリップ「目に見えないもの」で立体的に現れた“猫”は、まさしく21世紀GTHのライトモチーフ化されたサバービ ア・キャットの姿であった。つまりは家猫、日常に溶け込んだ家族の一員としての“猫”の姿である。

ギターをかき鳴らさない山田、その化身が“ポチ”となり、以降山田の代わりとなって大胆な行動を始める。単純な、しかし重要な図式。
4.『omni』−TV KIDS:ジャーナリスティックな視点−
9.11以前以降とよく言われる。確実に全ての価値観が崩壊し、文字通り何らかのカウントがリセットされ、“ゼロ”になった瞬間である事は間違いないだろう。

『omni』制作当時、山田はよく社会情勢の話をしていた。根っからのテレビ好きである彼は、各ジャンルについて詳しかったが、とりわけ21世紀になってからの報道に対する反応は、当然敏感にならざるを得なかった状況だからだろう。特にリアルタイムで山田はとりわけ一連の拉致被害者事件を目の当たりにする。

近くて遠い家。引き裂かれた絆。取り上げられた時間。

そういった影響から「そばにあるすべて」という重要なデモがあがる。もちろんその前から、「それを運命と受け止められるかな」「carolina」「愛すべき日々」といったキーとなるナンバーは生まれてはいたが、「そばにあるすべて」ほどのジャーナリスティックな視点による表現は、これまでのGTH的には大変稀有なスタイルであった。しかしそのような視点を持つ事により、テーマであった“オムニ=あらゆるもの”という意味が、より重要になり、全てを連鎖させていったのだ。

言葉は増えていった。自らの状況描写から、自らを取り囲む“すべて”に対してのテーゼに切り替わった瞬間が、『omni』には記録されている。
5.『monolog』−インディヴィジュアル・スピリッツの重要性−
アルバム『omni』からGTHはvapにレーベルを移動させ、いわゆるメジャーでの活動を再開させる。しかしスタイルとしてはこれまでと変わらないどころか、寧ろさらにインディーズ的な行動が目立つようになっていく。

そして山田はインディーズという言葉を“インディペンデント”ではなく“インディビジュアル”と言いかえる。マインドの問題でもある。インディビジュアル・スピリッツを持つか持たないかで、アーティストとしてのスタンスを維持出来るかどうかというレベルの話にも繋がってしまう。

GTHは独自のマネージメント・ワークを作りだし、自らの手で自らをプロデュースし始めた。かつて名うてのプロデューサーたちが彼らのサウンドをいじくりまわった時代が嘘のようである。しかし時代は“個”へ移行し、変わっていったのだ。

メジャーだインディーズだとその相違点だけをごちゃごちゃ指摘し、そこに縦社会を構築する業界物語を描く時代はとっくに終わってしまったのだ。GTHはメジャーではあるがどこにも属さない存在証明としての烙印を[monolog]としてジャケットに押した。
6.『夜明けまで』 revival−シングルと呼べない理由−
『mono』収録の佳曲群、「夜明けまで」「情熱スタンダード」「忘れな草」。リレコーディングのアイディアは、『omni』キャンペーン中の新幹線の中で生まれた。入手困難となっていた『mono』の音源をリバイバルさせる事により、もう一度あの曲たちにスポットをあてたい。vapスタッフも、この曲たちが新バージョンとなって当社音源となる事に単純に喜んだ。

重ねて言うが『mono』の評価は高い。そしてそこに収録される曲たちも一人歩きを始め、ライブでも重要な位置付けのものとなってきていた。特に再録された3曲は、monologレーベルに入るべき音源であった。実験を繰り返した『omni』の反動は、『mono』ワールドの再度取り込みを働きかける作業と移行していく。

お色直しされた3曲に、発表を見送られ続けてきた「男なら女なら」が遂にカップリングされた。この曲は『omni demo』に収録されていた楽曲である。これが加わる事により、GTHにとってこれはシングルではなく、一つの重要な意味を持つ“作品”となって固定化する。

「夜明けまで」という“作品”を完成させそれまでの全てがサークルとして繋がり、いよいよその中心地点を突き刺すタイミングだ、と誰もが感じ始めていた時、山田が病気に倒れた。

GTH活動休止を余儀なくされ、それは約半年続いた。
7.『明日は今日と同じ未来』−あるいは、明日はいつも新しい日−
タナカヒロシのすべて、という映画から打診。挿入曲に「RGB」を起用したい。世界のプロダクションI.Gから打診。GTHに主題歌をお願いしたい、と各監督。病気リハビリ中だった山田に朗報が届く。

GTHの復活のタイミングは思いの他早くやってきた。シングル先行リリースが決定し、連動してアルバム制作が決定した。GTHにとっては極めて珍しい流れであり、広い層へ向けて自らをアピールするチャンスでもあった。

全ては繋がっていた。疾走してきて倒れなければ作れなかった曲たち。

そこから新たに生まれるレールに飛び乗り、『mono』からの円環の中心地に向かい、全てが集約されていく作業が始まった。

山田は並行して次々に新曲を生み出していく。過去のデモ音源も起用して息吹を吹きこむ。自分のソロ用に作った歌ですらその円環に放りこむ。

その様々な波紋を起こす真中では、フェイクに興じる猫の化身が怒りに震えながら歌っている。こんなにもゆったりと流れるメロディに、こんなにも魂の叫びが広がっている。確実に新しい日の夜明けの光を浴びている猫は、いつもより無愛想に背中を向けてはいるが、何故か晴れ晴れしい顔をしているのだ。

円環の中心から広がる波紋は、恐らくもう止まる事は知らないだろう。